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 沈黙。隣から、息を呑む気配。
 顔では平静を装うけれど、僕の心臓は早鐘のように鼓動を加速させてゆく。
 冷静でいられない。この場から逃げ出したい衝動を必死に堪え、僕は待つ。
 彼女の答えを、ただひたすらに待つ。
 ――やがて。
 美月が立ち上がり、座ったままでいる僕の正面に、太陽を遮るようにして、立った。
 逆光で、彼女の表情が、その輪郭が、ぼやけて見える。
 けれども彼女は確かに、そこにいる。光があれば影があるように。曖昧な錯覚が、逆説的に存在を確定さ
 せるという感覚。
 息を吸い込んで、吐き出して。
 美月は僕をきっと真っ直ぐに見つめて――そして、唇を開いた。
「あたしは、雨乃先輩のことが、好きです」
 声は震えていて、身も心も全てさらけ出し、剥き出しの魂を見せつけているかのようで。
 僕は眩しいわけでもないのに、思わず目を細めた。
「最初は、少し戸惑いましたけど」
「……うん」
「だってあたしは、先輩のこと何も知らなかったし。いきなりお友達から始めましょうなんて言われても、引くだ
 けでした。正直な話」
「……ははは」
「でも今は、好きです。自分でもよく分からないけど、好きなんだから、好きなんです」
 えへへ、と美月がはにかんだのは一瞬で。
 彼女は笑みを溶かして、真面目な表情で僕を見つめる。
「先輩は、あたしのこと、好きですか?」
 きゅっと、真っ白になるほどに握りしめられた両の拳。肩幅ほどに広げられた足は緊張で震えていて――
 今、その質問を、彼女がどれほどの覚悟で紡いだのか、容易に想像できてしまう。その、意味も。
 追い詰められた状況。そして、僕自身が自ら望んだシチュエーション。
 ゆっくりと息を吐き出して、真っ直ぐに正直に、美月を見つめ返す。

「僕も、美月のこと好きだよ」

 それが、僕の答え。今まで言えなかったけれど。正真正銘、紛れもない、誠心誠意を込めた、答え。
 僕はその答えを今このとき、言葉にできて良かったと思う。
 言えて良かったと、安堵する自分が心の中にいる。
 しかし同時に僕を激情が襲う。
 タケミカヅチのことを裏切ってしまったような気になる。
 今までの自分自身を裏切ったような気持ちになる。
 だけど、その気持ちよりも、どうしようもないくらいに美月のことが好きな気持ちが溢れてきて――なんだか
 分からなくなって、無性に泣きたい気持ちになってくる。
「ははは……」
 乾いた笑い声が漏れる。俯き、ともすればがたがたと震えてしまいそうになる身体に、必死に力を込めて、
 耐える。耐えようとするけれど、苦しくて、苦しくて、嫌だ。
 美月に、抱きしめてほしいって願う。
 そのとき、ふわりと、シャンプーの匂いが僕を包み込む。
 美月は僕の肩に顎を乗せるようにして、そっと僕の背に両の手を回して――優しく、僕を抱きしめてくれて
 いた。
「少しずつで、いいんですよ」
 そんなことを、美月は言う。
 少しずつ。少しずつ。自分の気持ちと向き合っていけばいいんだろうか。
 少しずつ、美月のことを好きになっていけばいいんだろうか。
 少しずつ、あいつへの気持ちに折り合いをつけて、「そんなこともあったな」って笑い飛ばせるようになりたい。
 それが、あいつに対して僕ができる唯一の餞<はなむけ>だから――とか、そんな理由じゃけっしてない。
 あいつは死んで、僕は生きている。生きている僕があいつにできることなんかない。それは悲しいくらいに
 事実だ。悲しくても現実だ。
 しかし、現実を理解していても、僕はこれからも、美月の中にタケミカヅチを探してしまうだろう。そんな自分
 は死んでしまえと本気で思う。
 でも僕は死にたくない。生きていたい。
 だから僕は生きる。薄っぺらいだとか安っぽいだとか言われようと、純愛モノの主人公のようにいつまでも
 死んだ恋人を想い続けたりはしない。いや、想い続けたとしても、それとは別に、誰かを好きになりたいって
 願う。  今の僕はまだ、タケミカヅチ以外の女の子を愛する僕を許せないでいる。
 あいつ以外の女の子を愛することが間違っているように感じていて、苦しい。
 だけどいつかは許してやりたいって思う。
 美月のことを大切にしていきたい。
 僕は美月のことを大切にしていける人間でありたい。
 そう願う自分だって、確かにいるから。
 ゆっくりと僕は美月の両肩に手を当てて、彼女の身体を引き離す。
 きょとんとした瞳が僕を反射させる。
 僕は何も言わずにそっと、彼女の唇に自らのそれを重ねた。
 二つの体温が混じり合い、一つとなる。
 全身が痺れる。瞼の裏が熱くなって、閉じた視界は焼きつくような白に染まる。
 収まらない熱情が心を焦がしてゆく。
 唇を離した僕は美月の背中に手を回し、彼女がそうしてくれたように優しく彼女を抱きしめる。小さな体躯が、
 僕の腕の中で強張るように震えたのは一瞬。
 美月もまた僕の背に手を回し、ぎゅっと、強く僕を抱きしめる。
 その優しさに押されるように、僕はもう一度、彼女への気持ちを繰り返す。
「僕は、君が好きだ」

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