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    世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない。
    ……世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない。
                                三島由紀夫


 久しぶりに夢を見た。いつ以来かは覚えてない。
 夢の中の私は微笑んでいた。傍らには稚彦がいて、彼の口許にも笑みが刻まれてる。
 そしてふいに沈黙が訪れて、聞こえてくるのは互いの息遣いだけになる。
 稚彦から笑顔が消えて、真面目な顔で私を見つめる。
 そして稚彦はまるでそうすることが自然な流れであるかのように、私の唇を奪った。

「…………」
 目が覚めた。室内はほの暗い。私の指先は反射的に唇に触れていた。夢の中の出来事だと言うのに、
 稚彦の唇の感触が残っているような気がした。枕元に置いておいた携帯電話を手に取り時刻を確認する。
 午前11時過ぎ。ちなみに今日は日曜日。
「……マジすか」
 誰もこの場にいないので、私の口調もいい加減だ。あと、寝起きなのもある。
 どうやら、寝過ごしたようだ。いつもなら休日であっても7時には起きるんだけど。
 気怠い身体をゆっくりと起こす。しばらく眠気に身を預けてぼーっとしてしまう。
 頭をくしゃくしゃと触り、変な寝癖がついていないかだけ確かめる。
「よーし、起動開始ーー」
 小さく欠伸しつつ、私はベッドから下りた。
 締め切っていたカーテンを開ける。入り込んできた日差しを一瞬だけ眩しく感じた。
 窓を開ける。ひんやりとした秋風が頬を撫でてきたので私は首を竦める。
 パジャマ一枚ではやはり寒い。窓を閉め、ベッドの縁に腰掛けた。
 なんだかまだ気怠くて、私はそのままベッドに仰向けに倒れ、天井を見つめながら夢の中身を回想する。
 夢は心理学においては重要なワードである。
 かの有名なフロイト先生は、夢にはその人の隠された欲求が描かれているとおっしゃった。
 なるほど、と。それを知った当初の私は素直に膝を叩いたモノだ。
 だけどすぐさまがっかりして、うんざりした。
 夢解釈とはとどのつまり、文字通りに解釈であって、科学的普遍な解答もなければ論理のように明晰
 でもない。
 ある小説に、『心理学は文学が生み出した科学なのだ。それをそう解釈するモノにとって、その解釈は
 正しい』とかなんとか書いてあったけれど、まさにその通り。それ以来、私は夢に対する興味をなくし、
 夢を見ることもなくなった。もっとも精神医学的に言うならば、それは見ていないのではなく、見ている
 ことを記憶していないだけらしいんだけど。
 どっちでも同じことだろう。本人がそれを認識できないのであれば。
「ただ、稚彦が夢に出てくるのは、初めて……かな」
 珍しいこともあるものだ。
 稚彦も、起きてるだろうか。起きていてもおかしくない時間帯。なんとなく携帯電話を手に取る。
 別に、そんなことを確認するために稚彦に電話をしようと考えたわけではない。
 私の電話にはストラップがついている。ピンク色のぬいぐるみ。ウサギをデフォルメしたキャラクターかと
 思いきや、ウサギよろしく長い耳と思しきパーツは耳ではなく、あくまで“耳っぽい何か”らしい(稚彦曰く)。
 一ヶ月ほど前のデートで、稚彦がゲームセンターで取ってくれたモノだ。それ以来、こうして有効利用して
 いる。
 ぷらぷらと揺れるマスコットを見つめつつ、頭の中では別のことを考える。
 夢が本当に、私の欲求を象徴したものであるならば、稚彦が夢の中に出現したということは私という人間
 失格が稚彦を求めているという証明になるんだろうか。なるならそれは素敵なことだ、とても。
 なればいいのに。
 そんなことを思いつつ、私はマスコットに唇で軽く触れる。

  * * *

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